2007年12月21日金曜日

東芝ワープロ訴訟事件 4: 発明は会議室で起きているんじゃない。



発明はどこでおきているのでしょう?

「発明は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」

踊る大捜査線の青島俊作の声が聞こえてきそうです。

言うまでもなく「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」がオリジナルです。

 1970年代の漢字入力方式の最先端の研究は図のようなものでした。1973年,私が東芝総合研究所に入る直前にはこのような研究が行われていましたし,当時の最先端を行く国の研究所でも同様でした。


 人工知能,特に,形式言語理論,計算言語学,自然言語処理理論,言語理論 --形態論,統語論,意味論など-- の存在さえ知らない一般の工学部出身の研究者には,一字入力法以上の方法は想定外のことであった時代なのです。科学技術の最先端の領域では,何も知らない人たちが会議室にこもって,いくら議論しても何も生まれません。そこが一般的な,例えば家電製品の,商品企画のようなものとは異なるところです。本来,数値の計算を行う,文字通り電子計算機で,言葉を扱うなどはほとんどの技術者の想定外のことだった時代なのです。

 当時の1字単位の入力法と,今のように普通に文章として連続して入力していく方法との間には,月とすっぽんどころではない差があるのです。

 これはパソコンでも簡単に体験できます。メモ帳かワープロソフトで「1972年の報告では,1字単位の入力法が追求されています」という文章を当時の方法で入れてみて下さい。

1.「1972」  これは簡単ですね。

2.「ねん」と入れてスペースを2度叩いてください。そして,右下に現れる「>>」印をクリックしてすべての同音異字を表示してください。これで,当時の状態になりました。当時は,上の図のように最初からこのようなすべての字を表示した状態になるのです。ここから好きな漢字を選ぶのですが,当時はマウスなどありませんから,カーソルを「←→↑↓」キーで字のところにもっていくなどして選ぶのです。

3.「の」  これはひらがなですのでそのまま。

4.「ほう」上記2.と同じ方法で,「報」の字を探して選択します。

5.「こく」 同上。

 以下,省略しますが,おわかりでしょうか。現在のように平仮名を連続していれて,次々と漢字に正しく変換できるということがいかに画期的であり,効率的であるかが。

 当時,文節解析だけの仮名漢字変換はあるにはありましたが,まだまだ効率が悪くて,英文タイプのように日本語をキーボードを見ずに入れることなど「できる道理がない」と考えられていたのです。この不便さを,来る日も来る日も研究所の建物の北側の薄暗い実験室に一人で閉じこもり,ひたすらキーボードとモニターに向かって文章入力の実験をおこなっていた私は,その体験から,変換率を飛躍的に上げるための「二層型かな漢字変換方式」を着想し,特許にしたのです。有意義な本物の発明は実験室の中で生まれるのです。

 さらに,上の例でも,「年」は最初に出てきたので,そのままで良く,非常に楽に入力できました。しかし,「報」は5番目,「告」は7番目でした。短期学習機能がなければ,常に一覧表のなかでカーソルを動かすなどして選択しなければなりません。短期学習機能があれば,一度使った漢字は最初に現れます。この便利さは使ってみれば即座に納得いくと思います。

1.すらすらと平仮名で連続して入力できる。

2.同音語があっても短期学習機能で選択が簡単。

 この2つの機能がなければ,どれくらい不便か。このブログなどのように長い文章は,到底作る気にはならないでしょう。

 かな漢字変換は,日本中で数人の研究者がやっていただけなので一般にはまったく知られておらず,JW-10が突如としてこの世に現れたときには世間はそれが何であるかもわからず,とにかく凄いものが現れたらしいと驚きの目をもって迎えたのでした。

 日本のSF界を代表する小松左京さんは英文ワープロの存在を知っていましたが,「日本語ワープロ」と聞いても,それがかなで入力して漢字に変換できる機械だとは想像もできなかったと毎日新聞にそのエピソードが掲載されています。仮名漢字変換は江戸時代の人々がテレビや携帯を思いもつかないのと同様に,1970年代の人々には-- 一般どころかほとんどすべての技術者でさえ --思いも付かない技術だったのです。

 日本で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんの研究の話を書いた「精神と物質」(文春文庫,立花隆著)という本があります。「わかっている人はほかにはほとんどいない」,「肉体労働」,「まず道具作りから始める」という事が書かれています。科学技術の最先端はどの分野でも同じなのです。



定職のなかった利根川さんは,スイスの免疫学研究所に何とかもぐりこみます。そこの所長はヤーネ。利根川さんは免疫とは関係のない分子生物学をやっていました。

以下,--は立花氏の質問,「」は利根川氏の回答です。

第四章 サイエンティストの頭脳とは

--よくやらせてくれましたね。他にも,免疫と関係ないことをやってる人がいたんですか。

「いや,僕だけでしょう。ヤーネは心がブロードな人で,自分で所員の研究を一人一人掌握して管理していこうなんて考える人でなかったから,そういうことが許されたんですね。彼にとってはぼくなんか,いわばどこの馬の骨とも知れない人間で,ダルコッペが推薦したから採ったというようなもんで,何を研究しようとあまり気にかけてなかったのかもしれないですね」

--逆にヤーネのほうでは,利根川さんのやっておられた分子生物学研究がどういうものかわかっていたんですか。

「いやあ,まあ,ほとんどわかっていなかったといっていいでしょうね。ヤーネだけじゃなくて,そのころの免疫学者なんてみんなそうでしたよ。前のダルコッペの手紙にあったように,まだ免疫学の研究に分子生物学的方法論がもちこまれていなかった時代なんですから」

    -- p.147



第六章 サイエンスは肉体労働である

(ほんの小さな一つの実験をするのに)

--結局,この実験をはじめてから成功するまでにどれくらい時間がかかっているんですか。

「はっきり覚えてないけど,だいたい半年くらいだろうと思いますね」

--半年もですか。やっぱりそれぐらいかかるもんですか。

「そりゃかかりますよ。だって,例えば,制限酵素でDNAを切るといっても,まず制限酵素をつくるところからはじめなくちゃならないわけですよ」

--そうか。いまは制限酵素なんていくらでも金をだせば買えるけど,当時は,研究者が自分でつくらなくちゃならなかったわけですね。だけどこれを作るといっても,どうやって作るわけですか。

「制限酵素というのは,細菌が菌体内で作る酵素ですから,基本的には,その細菌をもらってきて大量に培養してから,その細菌をすりつぶして,その中から問題の酵素をよりわけるわけです」

-- pp.228-229

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