2007年12月15日土曜日

東芝ワープロ特許訴訟事件 1: 日本を「おしん」の時代に戻さないために



右は私の特許で頂いた賞です。

このブログは,天野真家,本人による東芝の提訴の解説です。太字の部分が要約になります。

小学校4年生の頃,学校の映画鑑賞会で「怒りの孤島」を見ました。半世紀もたっているのに,そこに描写された貧しさ,哀しさは,二木てるみの可憐な少女姿と重なって忘れることができません。

日本は世界第二の経済大国と言われています。しかし,自然にそうなったのではありません。大戦後の先人たちの技術に対するたゆまぬ努力のおかげなのです。明治維新の時代,日本は極貧と言っても過言ではないくらい貧しい国でした。鎖国をしている時代ならば,それもあまり気が付かなかったでしょう。今の北朝鮮のようなものです。しかし,その鎖国中の江戸時代には飢饉が頻発,なかでも四大飢饉と言われるものが100年に一度以上の頻度でおきていたのです。

1. 寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)~寛永20年(1643年)
2. 享保の大飢饉 享保17年(1732年)
3. 天明の大飢饉 天明2年(1782年)~天明7年(1787年)
4. 天保の大飢饉 天保4年(1833年)~天保10年(1839年)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ による。

食べる物がないということがどれほど悲惨な事かは,70歳以上の方々なら戦争で体験済みでしょう。若い方々には,藤原ていさんの「流れる星は生きている」(中公新書)を一読されることをお勧めします。涙なしにこれを読むことはできません。7歳の正広と3歳の正彦,それに1ヶ月の新生児咲子を背負っての敗戦による満州からの逃避行の悲話です。藤原ていさんは産後まだ1ヶ月の26歳。そんな状況で,少しのお芋しかない食事の次の場面が生起します:

 正広は大事そうにゆっくり食べている。正彦は餓鬼のように食べてしまって,いつものように私の分をねだって来た。お行儀の悪いことはしないように一応たしなめたが聞かない。ついに負けて私の残っている分を正彦に与えようとした。
「正彦ちゃん,もうこれだけですよ。そんなにお母さんを困らせないでね」
正彦は私の分を貰ってやっと落ち着いた。私は正彦の食べ方を見ながらまた涙が出そうでならなかった。
「お母さん,僕のをお母さんに上げるよ,お母さんお腹がすいておっぱいが出ないでしょ」
 今までじっと見ていた正広が突然こういって,まだ半分食べ残して歯のあとがついているお芋を私に差し出した。私は正広が本気で私にそういってくれるのをその眼ではっきり受け取ると,胸をついて出る悲しさにわっと声をあげて泣き伏してしまった。
 七歳になったばかりのこの子が自分が飢えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。

       --- 「流れる星は生きている」 p111

     註:藤原正彦氏は「国家の品格」(新潮新書)の著者です。


アフリカの骨と皮だけになった子供たちの痛ましい姿は今でも時にテレビで見かけます。あのように日本がならないと言う保証はないのです。日本から技術が無くなるということは,今の文明的生活の全てがなくなるに等しいことなのです。

第二次大戦後,日本は奇跡の復活に成功し,現在,我が世の春を謡っています。しかし,つい数十年前には,まだ「おしん」,「怒りの孤島」,「女工哀史 野麦峠」の時代があったことを忘れてはなりません。

今の日本の繁栄は何によって支えられているのでしょうか?天然資源?違います。観光資源?違います。世界第二の経済大国である事が多少の観光資源になっている程度にすぎません。農産物の輸出?逆に,今の日本は輸入がなければ食料の供給もできませんね。では,農産物を買うお金はどこから出ているのでしょう。工業製品です。唯一,工業製品,それも世界に冠たる高品質の工業製品が日本を,ひいては我々の生活を支えているのです。もし,世界が欲しがる素晴らしい工業製品を作る力を日本が失えば,一体どのようにして食料を輸入し,石油を輸入し,他のありとあらゆる天然資源を輸入するお金を儲けるのでしょうか?北朝鮮のような最貧国に墜ちる以外に道があるのでしょうか。日本を支えている高品質の工業製品は技術者の頭から生まれるのです。技術立国とは,人的資源立国ということなのです。

しかし,日本では技術者は優遇されてはいません。単純にアメリカと比べてはいけません。アメリカでは「技術部長募集」が行われるような国なのです。日本のような(相当壊れてきたとは言え,まだ基本は)終身雇用の国とはまるで異なる構造になっているのです。今,日本では理系離れが叫ばれています。OECDのPISA(生徒の学習到達度調査)では,日本の子供の学力は低下の一途を辿りついにトップクラスから脱落したと報告されています。私は大学の教員をしています。今,私立大学は地方に出向き,予備校の教室を借りて入試を行っています。同時に数校の大学が同じ予備校で試験をすることも珍しくありません。昨年,仙台の入試に行き,教室を見て愕然としました。中堅クラスの大学の文学部の入試会場は100名ほどの教室が満員に近いほどの盛況ぶりでした。一方,やはり中堅クラスの大学の理工学部は100人の教室に1人だけだったのです。それほどに理系離れが進んでいるのです。

理工学部,特に工学部は,授業が難しく,単位は出にくく,3時間も4時間もかかる,下手をすると徹夜になる実験があり,卒研は厳しいのです。確かに,就職そのものは楽です。求人倍率は圧倒的に高いからです。しかし,入社してしまえば,大学時代,楽して(例外はあるでしょうが,一般論ということです)4年間を送ってきた文系と処遇は同じで,ひょっとすると出世は文系の方が早いとすれば,よほどの機械好きか,物好きでなければ理系に行きたがらないのは普通の人間の考えでしょう。

しかし,そのようなことが十年単位で続けば技術立国を支える「かなめ」がなくなります。戦前は,いや,戦後暫くも,「Made in Japan」は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。今のほとんどの中国製品に日本人が持っている感覚を世界が当時の日本に持っていたのです。ところが,いまや,「Made in Japan」は「高品質」,「世界の憧れる工業製品」の代名詞になっています。と友人に言ったら,君は現状を知らない。そんな時代はもう去ったと意見されましたが,今はまだ大丈夫ではないかと私は思っています。

しかし,今のままで,あと20年経ったら,日本はどうなっているかわかりません。教育の大改革も必要でしょう。それは他の人々に任すとして,ここでは工学部に行き,技術者になりたいと思わせる技術者の地位の向上の対策が必要であることを訴えたいと思います。


私は、2007年12月7日、東芝を提訴しました。日本語ワードプロセッサの生みの親として,技術者の名誉をかけて,技術発明の名誉はその発明者にあることを世に訴えたかったからです。その提訴の経緯について,ここで詳しく書いていきたいと思います。

私の行った発明は,「できる道理がない」と言われた仮名漢字変換を実用化するために必須の技術でした。それが発明された歴史についてはここで詳しく述べてあります

東芝では,2000年前後だったか,「自立自援制度」ということを始めました。内容は「早期退職制度」なのです。しかし,当時,あちこちの企業が早期退職希望者を募るたびに,マスコミで騒がれていました。「xx社も早期退職を開始」などの記事が紙面をにぎわしていたことを覚えておられる人は多いでしょう。東芝はこのマイナスのイメージを嫌って,「自立自援制度」とネーミングを変えたのです。これで,記者の目を逃れることができました。自立とは,字のごとく,会社を辞めて自分でベンチャー企業でもおこして自立しなさいということです。自援なんてことばはありませんね。自分で自分を援助しなさいということです。自立と内容的には同じです。これに応募すれば退職金の割り増しをもらえます。

社内にいても先がないと見越した技術者は,この制度を利用して次々と退職していきました。私の友人,知人も相当数が退職していったのです。彼らは50歳前後でした。ところが,研究所の社員は大学の教員で出る人がほとんどで,この場合,大学に行くのは「自立自援」ではないという屁理屈をつけられて,彼らは退職金の割り増しを行ってもらえませんでした。私のかつての部下も数年前から早く大学に出て行くようにと言われていました。ちょうどこの制度の時期と,行っても良い大学が見つかった時期が重なったので,自立自援制度で退職しようとしたところ,上の理由を言われて退職金割り増しなしで出て行ったのです。

彼は自分から進んで大学に出ようとしたわけではありません。できれば定年まで会社に居たかったのだと思います。なかなかポストのない首都圏を離れて地方に行くことになり,単身赴任などで現在の生活形態を大幅に変えることになるからです。辞めよと勧告されて辞めたにもかかわらず,自立自援ではないと言われたのです。なるほど,自立自援制度とはそのような使い方があるのかと東芝の本社スタッフの知恵の深さに私は感心しました。マスコミの目をくらますだけでなく,退職金割り増しを削減することもできる制度だったのです。「早期退職制度」ならこんな屁理屈は付けられないでしょう。


研究所の中には親が自衛業の人がいて,彼の場合,親の後を継ぐという名目で割り増し金をもらい,実は大学に就職しました。この人は,キャリアロンダリングだなどと陰口を叩かれていました。しかし,この話を事業部の知人にした所,事業部ではそんなことはないといわれました。うちの部で大学に出た人もいたが,ちゃんと割増金をもらっていたというのです。つまりは,割増金を出すか出さないかは部署の担当役員の腹づもりで決まるようなのです。割増金を少なくした役員は成績が良くなり,昇進できるということなのでしょうか?現実をみると確かに,そうなっています。

技術立国を支える技術者がこのような使い捨ての状態にあっては,誰も技術者になりたいとは思わないのは理の当然です。文系でも使い捨ては同じかもしれません。同じであるなら,まだしも文系の大学で楽をしようと考える若者を責めることが誰にできましょう。1980年代後半のバブルの時代,工学部から銀行に就職する学生がかなりの数いました。人間はなぜ努力するのか?大半は,良い生活をしたいと思うからで,良い生活を保障するものは高い収入です。これは大方の真実でしょう。工学部を出ながら,製造業より収入が圧倒的に良い銀行へという風潮を誰が非難できるでしょう。日本がローマ帝国のごとく滅びることがないように,技術立国を支える技術者の努力に報いる処遇をする必要が,企業にはあると私は考えています。

私は上のような環境の中,2004年に56歳で定年扱いで退職しました。私が,「発明者の名誉をかけた訴訟である。技術立国を支える技術者の待遇改善を訴えたい」と言っているのは,この退職と関係があるのです。私は,1970年代当時不可能と言われた仮名漢字変換を実用に導き,日本語ワープロを製品化しました。ところが・・・その栄誉は人事的には私には付けられていないことが退職時に明確に判明したのでした。そのため,非常に劣悪な条件で退職を余儀なくされました。このような事件がなければ,精神的にも,肉体的にも,経済的にも大変な負担を伴う訴訟など行うこともなく平和な人生を送ったことでしょう。これが,「発明者の名誉をかける」の意味なのです。

そして,この訴訟を通して,すべて,技術者の発明の名誉は発明者に帰属するものであることを訴えているのです。私の事件は飛行機を発明したライト兄弟が名誉を奪われた事件と非常に良く似た経緯をたどっています。「不可能といわれていたこと」,「それを不断の努力によって成し遂げたこと」,「その名誉を権力によって奪われたこと」などです。このような不名誉な事件を日本が再び起こすことのないようにと願って。
(続く)



プレスリリース
東芝ワープロ発明物語:車上の技術史
プロジェクトX物語
Gooブログ