2007年12月27日木曜日

東芝ワープロ発明訴訟事件 5:武田さんとJW-10のこと



 武田さんは,私が二人分の仕事を背負い込み,更には開発スケジュールを,プロジェクトの進行中に半減されて四苦八苦していた時に,二人で最初に取り決めた分担をこともなげに無視して,私の負担を低くしてくれたのでした。

 彼はプロジェクトXでも,未来創造堂でも出てくることはありません。この写真は彼が出てくる唯一のものでしょう。東芝研究開発センターの,30年前当時の雰囲気をそのまま残した部屋でプロジェクトXの撮影をしていたときに私が撮ったものです。右から2人目が彼です。机をはさんでその左側で対談しているのがディレクタの山本さん。放映はされませんでしたが,インタビューをしているところです。

2007年12月21日金曜日

東芝ワープロ訴訟事件 4: 発明は会議室で起きているんじゃない。



発明はどこでおきているのでしょう?

「発明は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」

踊る大捜査線の青島俊作の声が聞こえてきそうです。

言うまでもなく「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」がオリジナルです。

 1970年代の漢字入力方式の最先端の研究は図のようなものでした。1973年,私が東芝総合研究所に入る直前にはこのような研究が行われていましたし,当時の最先端を行く国の研究所でも同様でした。


 人工知能,特に,形式言語理論,計算言語学,自然言語処理理論,言語理論 --形態論,統語論,意味論など-- の存在さえ知らない一般の工学部出身の研究者には,一字入力法以上の方法は想定外のことであった時代なのです。科学技術の最先端の領域では,何も知らない人たちが会議室にこもって,いくら議論しても何も生まれません。そこが一般的な,例えば家電製品の,商品企画のようなものとは異なるところです。本来,数値の計算を行う,文字通り電子計算機で,言葉を扱うなどはほとんどの技術者の想定外のことだった時代なのです。

 当時の1字単位の入力法と,今のように普通に文章として連続して入力していく方法との間には,月とすっぽんどころではない差があるのです。

 これはパソコンでも簡単に体験できます。メモ帳かワープロソフトで「1972年の報告では,1字単位の入力法が追求されています」という文章を当時の方法で入れてみて下さい。

1.「1972」  これは簡単ですね。

2.「ねん」と入れてスペースを2度叩いてください。そして,右下に現れる「>>」印をクリックしてすべての同音異字を表示してください。これで,当時の状態になりました。当時は,上の図のように最初からこのようなすべての字を表示した状態になるのです。ここから好きな漢字を選ぶのですが,当時はマウスなどありませんから,カーソルを「←→↑↓」キーで字のところにもっていくなどして選ぶのです。

3.「の」  これはひらがなですのでそのまま。

4.「ほう」上記2.と同じ方法で,「報」の字を探して選択します。

5.「こく」 同上。

 以下,省略しますが,おわかりでしょうか。現在のように平仮名を連続していれて,次々と漢字に正しく変換できるということがいかに画期的であり,効率的であるかが。

 当時,文節解析だけの仮名漢字変換はあるにはありましたが,まだまだ効率が悪くて,英文タイプのように日本語をキーボードを見ずに入れることなど「できる道理がない」と考えられていたのです。この不便さを,来る日も来る日も研究所の建物の北側の薄暗い実験室に一人で閉じこもり,ひたすらキーボードとモニターに向かって文章入力の実験をおこなっていた私は,その体験から,変換率を飛躍的に上げるための「二層型かな漢字変換方式」を着想し,特許にしたのです。有意義な本物の発明は実験室の中で生まれるのです。

 さらに,上の例でも,「年」は最初に出てきたので,そのままで良く,非常に楽に入力できました。しかし,「報」は5番目,「告」は7番目でした。短期学習機能がなければ,常に一覧表のなかでカーソルを動かすなどして選択しなければなりません。短期学習機能があれば,一度使った漢字は最初に現れます。この便利さは使ってみれば即座に納得いくと思います。

1.すらすらと平仮名で連続して入力できる。

2.同音語があっても短期学習機能で選択が簡単。

 この2つの機能がなければ,どれくらい不便か。このブログなどのように長い文章は,到底作る気にはならないでしょう。

 かな漢字変換は,日本中で数人の研究者がやっていただけなので一般にはまったく知られておらず,JW-10が突如としてこの世に現れたときには世間はそれが何であるかもわからず,とにかく凄いものが現れたらしいと驚きの目をもって迎えたのでした。

 日本のSF界を代表する小松左京さんは英文ワープロの存在を知っていましたが,「日本語ワープロ」と聞いても,それがかなで入力して漢字に変換できる機械だとは想像もできなかったと毎日新聞にそのエピソードが掲載されています。仮名漢字変換は江戸時代の人々がテレビや携帯を思いもつかないのと同様に,1970年代の人々には-- 一般どころかほとんどすべての技術者でさえ --思いも付かない技術だったのです。

 日本で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんの研究の話を書いた「精神と物質」(文春文庫,立花隆著)という本があります。「わかっている人はほかにはほとんどいない」,「肉体労働」,「まず道具作りから始める」という事が書かれています。科学技術の最先端はどの分野でも同じなのです。



定職のなかった利根川さんは,スイスの免疫学研究所に何とかもぐりこみます。そこの所長はヤーネ。利根川さんは免疫とは関係のない分子生物学をやっていました。

以下,--は立花氏の質問,「」は利根川氏の回答です。

第四章 サイエンティストの頭脳とは

--よくやらせてくれましたね。他にも,免疫と関係ないことをやってる人がいたんですか。

「いや,僕だけでしょう。ヤーネは心がブロードな人で,自分で所員の研究を一人一人掌握して管理していこうなんて考える人でなかったから,そういうことが許されたんですね。彼にとってはぼくなんか,いわばどこの馬の骨とも知れない人間で,ダルコッペが推薦したから採ったというようなもんで,何を研究しようとあまり気にかけてなかったのかもしれないですね」

--逆にヤーネのほうでは,利根川さんのやっておられた分子生物学研究がどういうものかわかっていたんですか。

「いやあ,まあ,ほとんどわかっていなかったといっていいでしょうね。ヤーネだけじゃなくて,そのころの免疫学者なんてみんなそうでしたよ。前のダルコッペの手紙にあったように,まだ免疫学の研究に分子生物学的方法論がもちこまれていなかった時代なんですから」

    -- p.147



第六章 サイエンスは肉体労働である

(ほんの小さな一つの実験をするのに)

--結局,この実験をはじめてから成功するまでにどれくらい時間がかかっているんですか。

「はっきり覚えてないけど,だいたい半年くらいだろうと思いますね」

--半年もですか。やっぱりそれぐらいかかるもんですか。

「そりゃかかりますよ。だって,例えば,制限酵素でDNAを切るといっても,まず制限酵素をつくるところからはじめなくちゃならないわけですよ」

--そうか。いまは制限酵素なんていくらでも金をだせば買えるけど,当時は,研究者が自分でつくらなくちゃならなかったわけですね。だけどこれを作るといっても,どうやって作るわけですか。

「制限酵素というのは,細菌が菌体内で作る酵素ですから,基本的には,その細菌をもらってきて大量に培養してから,その細菌をすりつぶして,その中から問題の酵素をよりわけるわけです」

-- pp.228-229

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2007年12月17日月曜日

東芝ワープロ特許訴訟事件 3:決意と訴訟費用など


個人が巨大企業と戦う状況は,日露戦争の日本のような位置づけに似ています。写真は,フランスのプチパリジャン紙が日露戦争の日本とロシアを風刺した漫画です。


 ようやく映像化されることが決まった司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読んでいると,「男には負けるとわかっていても戦わねばならない時がある」という言葉を思い出します。しかし,負けるわけにはいかないのです。負ければ日本はロシアの植民地と化すことでしょう。それは私も同じことなのです。奪われた名誉は,それを回復しなければ男ではありません。

「坂の上の雲」には次の一節があります。

 日本と日本人は,国際世論のなかではつねに無視されるか,気味悪がられるか,あるいははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった。
 たとえばのちに日本が講和において賠償を欲するという意向をあきらかにしたとき,アメリカのある新聞は,

「日本人は人類の血を商売道具にする」 

 という深刻な罵倒をおこなった。日本はこの戦争を通じ,前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵法者として終始し,戦場として借りている中国側への配慮を十分にし,中国人の土地財宝をおかすことなく,さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。その理由の最大のものは幕末,井伊直弼がむすんだ安政条約という不平等条約を改正してもらいたいというところにあり,ついで精神的な理由として考えられることは,江戸文明以来の倫理性がなお明治期の日本国家で残っていたせいであったろうとおもわれる。
 要するに日本はよき国際習慣を守ろうとし,その姿勢の延長として賠償のことを考えた。
                  中略

 ところが日本はロシアに対して戦勝してその賠償金をとろうとしたとき,

「日本は人類の血を商売道具にし,土地と金を得る目的のために世界の人道を破壊しようとしている」 

 と米紙は極論して攻撃したのである。米紙のいう「人類の血」とは,白人であるロシア人の血のことをさすのであろう。中国などに加えたアジア人の血に対しては欧米の感覚ではどうやら「人類の血」としてはみとめがたいもののようであった。


     -- 司馬遼太郎 「坂の上の雲 7」pp.207-208

なぜ,このような罵倒を米紙が行ったのでしょうか?ルーズベルト大統領は米国の国益を考慮して,日本に好意的であったにもかかわらずです。この裏には次のような事実があったのです。


(駐米ロシア大使)カシニーの世論形成法は,いかにもロシア風であった。米国における新聞という新聞を片っぱしから買収してかかったのである。
 たとえば,ロシアに買収されたワールド紙などは露骨な反日論を掲載した。日本人のことを,「Yellow little monkey」
とよび,日本人がいかに卑劣で,とるにたりない国力しかもっていないかということを書き,日本人はわれわれキリスト教徒の敵である,といったふうの,かつての十字軍時代の布告文をおもわせるような論説まで書いた。


  -- 「坂の上の雲 7」 p.203

特許訴訟費用について
 特許訴訟というものは,個人にとっては莫大とも言える費用がかかります。弁護料には「定価」(目安)があります。数億円の訴訟の場合,着手料金は,約3%+約60万円+消費税です。これに毎回の実費と成功報酬。
加えて,裁判の印紙代(裁判費用)がかかり,これは1億円につき,約30万円です。

 3億円請求では,最初の費用だけで1000万円を越します。
フラッシュメモリーの舛岡氏の10億円の場合,3000万円~4000万円でしょう。舛岡氏の場合,彼の試算では彼の貢献は40億円であり,10億円を遥かに超しますが,初期費用が払えないので一部請求の10億円にしたと書かれています。私の場合,問題は名誉であって金額ではないので,正当な主張もできない守秘義務が有効なあいだ,退職から今年までの3年間の時効分はあえて捨て,また,まだ時効になっていない分も一部請求せず,2年間分の2億6千万程度に抑えてあるのです。和解交渉を決裂させた巨大企業を相手に,一個人がマスコミと社会に対して名誉回復を訴えるにはこのような提訴以外手段がありません。

 なお,弁護士の成功報酬は米国と異なり,つつましく,これも定価で3%程度です。

 着手にこれだけの費用がかかるということは,誰にでも気軽に裁判を起こすことはできないということです。実際に単なる机上の空論で騒がれているほど,このような裁判は起きていません。どれだけの事例が挙げられるか数えてみれば分かります。

 さらに,特許法35条で認めている請求は,通常の利益に対して何%というものではありません。それでは企業に大変な負担がかかる場合もあるでしょう。サラリーマンで言ってみれば月給の何%ではなく,たまたま買って1000万円が当たった宝くじの,その何%というということなのです。そのような大発明が連発して出るような企業は超優良企業で,35条による支払いの為に経営が苦しいというようなことは起きるべくもありません。

 私の場合,これは名誉と技術者の地位向上をかけた戦いなので,この費用支払いに耐えられているのです。名誉はお金には換えられません。日本の武士も西欧の騎士も,名誉のためには命をもかけてきました。とは言いましても,友人からは「老父母を養うお金だけは残しておきなさい」と助言されています。読者もこれは諒としてくださるでしょう。

  すべての困難は諸君が勇気を欠くところから来るのである
                              --アラン

(続く)

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東芝ワープロ発明訴訟2:企業の発明者はなぜ社会に知られないのか

 プログラム内蔵型ディジタルコンピュータ(普通のコンピュータのことです)の発明者はだれか?大型コンピュータという巨大なコンピュータを,小指の爪ほどに小さくしたマイクロコンピュータの発明者は誰か?

 これらについてはその分野の相当の専門家でも知らないでしょう。一方で,相対性理論が何であって,どんな恩恵を受けているかは知らなくても多少勉強をした人ならアインシュタインであると知っていることでしょう。今をときめく,iPS細胞の作成法を発明した京都大学の山中教授の名も,多少とも新聞を読む人なら知っているはずです。

 科学技術と一口に言いますが,科学と技術(工学)では,まったく異なるものなのです。科学は発見に属し,技術は発明に属します。自然科学は宇宙の構造を解明する発見的な仕事であり,技術はこの世に存在しない新しいものを発明する創造的な仕事です(改良もありますが)。工学にはノーベル賞は与えられません。科学に与えられるものということになっています。ノーベル物理学賞とか,ノーベル化学賞はあっても,ノーベル情報工学賞とか,ノーベル電気工学賞などはありません。

 このように技術は常に下に見られています。一つには,技術は科学の発見した法則を利用した発明であることが原因です。しかし,今,この世界から電車,自動車,飛行機,パソコン,インターネット,携帯電話,あるいは薬の抗生剤などが消えたら,我々は江戸時代に逆戻りするしか仕方ありません。

 仮名漢字変換には科学と技術の両方の研究が必要でした。一応,古典的な言語学などはあるにはあるのですが,極めて不完全なもので,そのままではコンピュータに利用できません。そもそも,言語学というものは,個々の文法規則を作る学問ではなく,人間はどのようにして言葉を習得するのであろうかということを明らかにすることがその最大目的なのです。しかし,それではコンピュータは言葉を習得してくれません。コンピュータに言葉を教えるための学問が必要で,そこから研究を始めなければなりませんでした。

 そこで得られた科学的知識はアインシュタインの相対性理論のように社会に知られることはありません。なぜなら,企業はその科学的知識を独占して,そこから発明により新しい製品を作るために,社外秘とされるからです。これが発明者が知られない一つの理由でもあるのでしょう。発表は企業名で行われます。「東芝,日本語ワープロを発表」という形で新聞発表されます。「東芝の天野氏,日本語ワープロを発明」というような発表は行いません。ここにすべての問題が,技術者の立場の低さが凝縮していると言ってもよいでしょう。企業はその代償として,内輪の中で表彰したり,処遇を与えてその名誉を称えます。私の場合,その名誉が,真の発明者である私に与えられなかったということです。人事権者の怠慢と言うほかないでしょう

 大河ドラマ「風林火山」が終わりを迎えましたが,戦国の武将は部下の論功行賞に努力を注ぎました。このドラマの中でも武田信玄が論功行賞を行う場面が何度かありました。命を懸けて戦っている部下の功績を間違えれば部下は離れていくことになり,それは自家が滅びることにつながるからです。

「技術者は好きなことをやっているのだから待遇が悪くても良い」という言い方が時にされますが,趣味ではなく,仕事として行うのですから,好きも嫌いもありません。納期と機能・性能を守るという重圧がずっしりと肩にかかってきます。大型コンピュータ全盛時代には新しい次期モデルを開発するとあまりの重圧に耐え切れず,一人は自殺者が出るといわれたものです。友人の他社のワープロ技術者にあなたはワープロでよかったですねと言ったところ。「ワープロだけで毎年数人の鬱病を出していました(管理職含む)。」との返事が帰って来ました。私と武田さんも,青梅工場に通っていた1年半の間,寝ている時を除いては開発に明け暮れていました。その上,青梅工場には「短距離出張」で処理したためタイムカードもなく,すべてサービス残業でした。

また,次のような話もあります。

ワープロの開発.膨大な人員で一年中毎日が徹夜の連続。一つの機能毎に開発要員が数人張り付く。従って開発人員は国家予算と一緒で単調増加の一途。思いついた機能は直ちにプログラミングそして検査。時には検査中に新機能が必要となり慌てて人の手配から始めることもある。15万円のパーソナルワープロから500万円のビジネスワープロまで年間12機種も開発していると盆も暮れもない。毎日々々が先の見えない開発の連続.xx工場勤務の時の年間TAXI乗車回数は200回を超えていました*。xx工場で勤務開始後お酒を飲んだのは3回/半年でした。(大変少ないという意味)

 *大きな工場の前には夜10時ころから駅前のようにTAXIが並んで待機しています。深夜残業で公共交通機関がなくなるので,家までTAXIで帰るのです。正規労働時間が176時間/月の時代に,300時間の残業をしたという情報処理センターの友人がいて,いくらなんでもそれは無理ではないかと尋ねたところ,簡単ですよ。家に帰らなきゃいいんですとの返事にはさすがにあっけにとられました。(天野注)

なお,理系の処遇の悪さの調査があります。
 理系と文系の報酬格差について検索で調べると「研究者(発明者)の側から見た職務発明制度」(渡部俊也・東大先端科学技術研究センター教授)に元は阪大による調査で「生涯賃金 文系4億3600万円 理系3億8400万円」のデータが示されている。5000万円の差である。

   -- http://dandoweb.com/backno/20040311.htm

 最近,コマーシャルで「xxさんはyyの研究をしています」という形で研究者個人を出すようなことを行っていますが,あれが本当なら非常に良い試みですが,単なる企業イメージの改善という目的で,特に成果のあるわけでもなく,都合の良い人だけを出しているとしたら,今度は研究者間で名誉の争奪戦になり,不満も出ることでしょう。あまり感心したことではありません。

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2007年12月15日土曜日

東芝ワープロ特許訴訟事件 1: 日本を「おしん」の時代に戻さないために



右は私の特許で頂いた賞です。

このブログは,天野真家,本人による東芝の提訴の解説です。太字の部分が要約になります。

小学校4年生の頃,学校の映画鑑賞会で「怒りの孤島」を見ました。半世紀もたっているのに,そこに描写された貧しさ,哀しさは,二木てるみの可憐な少女姿と重なって忘れることができません。

日本は世界第二の経済大国と言われています。しかし,自然にそうなったのではありません。大戦後の先人たちの技術に対するたゆまぬ努力のおかげなのです。明治維新の時代,日本は極貧と言っても過言ではないくらい貧しい国でした。鎖国をしている時代ならば,それもあまり気が付かなかったでしょう。今の北朝鮮のようなものです。しかし,その鎖国中の江戸時代には飢饉が頻発,なかでも四大飢饉と言われるものが100年に一度以上の頻度でおきていたのです。

1. 寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)~寛永20年(1643年)
2. 享保の大飢饉 享保17年(1732年)
3. 天明の大飢饉 天明2年(1782年)~天明7年(1787年)
4. 天保の大飢饉 天保4年(1833年)~天保10年(1839年)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ による。

食べる物がないということがどれほど悲惨な事かは,70歳以上の方々なら戦争で体験済みでしょう。若い方々には,藤原ていさんの「流れる星は生きている」(中公新書)を一読されることをお勧めします。涙なしにこれを読むことはできません。7歳の正広と3歳の正彦,それに1ヶ月の新生児咲子を背負っての敗戦による満州からの逃避行の悲話です。藤原ていさんは産後まだ1ヶ月の26歳。そんな状況で,少しのお芋しかない食事の次の場面が生起します:

 正広は大事そうにゆっくり食べている。正彦は餓鬼のように食べてしまって,いつものように私の分をねだって来た。お行儀の悪いことはしないように一応たしなめたが聞かない。ついに負けて私の残っている分を正彦に与えようとした。
「正彦ちゃん,もうこれだけですよ。そんなにお母さんを困らせないでね」
正彦は私の分を貰ってやっと落ち着いた。私は正彦の食べ方を見ながらまた涙が出そうでならなかった。
「お母さん,僕のをお母さんに上げるよ,お母さんお腹がすいておっぱいが出ないでしょ」
 今までじっと見ていた正広が突然こういって,まだ半分食べ残して歯のあとがついているお芋を私に差し出した。私は正広が本気で私にそういってくれるのをその眼ではっきり受け取ると,胸をついて出る悲しさにわっと声をあげて泣き伏してしまった。
 七歳になったばかりのこの子が自分が飢えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。

       --- 「流れる星は生きている」 p111

     註:藤原正彦氏は「国家の品格」(新潮新書)の著者です。


アフリカの骨と皮だけになった子供たちの痛ましい姿は今でも時にテレビで見かけます。あのように日本がならないと言う保証はないのです。日本から技術が無くなるということは,今の文明的生活の全てがなくなるに等しいことなのです。

第二次大戦後,日本は奇跡の復活に成功し,現在,我が世の春を謡っています。しかし,つい数十年前には,まだ「おしん」,「怒りの孤島」,「女工哀史 野麦峠」の時代があったことを忘れてはなりません。

今の日本の繁栄は何によって支えられているのでしょうか?天然資源?違います。観光資源?違います。世界第二の経済大国である事が多少の観光資源になっている程度にすぎません。農産物の輸出?逆に,今の日本は輸入がなければ食料の供給もできませんね。では,農産物を買うお金はどこから出ているのでしょう。工業製品です。唯一,工業製品,それも世界に冠たる高品質の工業製品が日本を,ひいては我々の生活を支えているのです。もし,世界が欲しがる素晴らしい工業製品を作る力を日本が失えば,一体どのようにして食料を輸入し,石油を輸入し,他のありとあらゆる天然資源を輸入するお金を儲けるのでしょうか?北朝鮮のような最貧国に墜ちる以外に道があるのでしょうか。日本を支えている高品質の工業製品は技術者の頭から生まれるのです。技術立国とは,人的資源立国ということなのです。

しかし,日本では技術者は優遇されてはいません。単純にアメリカと比べてはいけません。アメリカでは「技術部長募集」が行われるような国なのです。日本のような(相当壊れてきたとは言え,まだ基本は)終身雇用の国とはまるで異なる構造になっているのです。今,日本では理系離れが叫ばれています。OECDのPISA(生徒の学習到達度調査)では,日本の子供の学力は低下の一途を辿りついにトップクラスから脱落したと報告されています。私は大学の教員をしています。今,私立大学は地方に出向き,予備校の教室を借りて入試を行っています。同時に数校の大学が同じ予備校で試験をすることも珍しくありません。昨年,仙台の入試に行き,教室を見て愕然としました。中堅クラスの大学の文学部の入試会場は100名ほどの教室が満員に近いほどの盛況ぶりでした。一方,やはり中堅クラスの大学の理工学部は100人の教室に1人だけだったのです。それほどに理系離れが進んでいるのです。

理工学部,特に工学部は,授業が難しく,単位は出にくく,3時間も4時間もかかる,下手をすると徹夜になる実験があり,卒研は厳しいのです。確かに,就職そのものは楽です。求人倍率は圧倒的に高いからです。しかし,入社してしまえば,大学時代,楽して(例外はあるでしょうが,一般論ということです)4年間を送ってきた文系と処遇は同じで,ひょっとすると出世は文系の方が早いとすれば,よほどの機械好きか,物好きでなければ理系に行きたがらないのは普通の人間の考えでしょう。

しかし,そのようなことが十年単位で続けば技術立国を支える「かなめ」がなくなります。戦前は,いや,戦後暫くも,「Made in Japan」は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。今のほとんどの中国製品に日本人が持っている感覚を世界が当時の日本に持っていたのです。ところが,いまや,「Made in Japan」は「高品質」,「世界の憧れる工業製品」の代名詞になっています。と友人に言ったら,君は現状を知らない。そんな時代はもう去ったと意見されましたが,今はまだ大丈夫ではないかと私は思っています。

しかし,今のままで,あと20年経ったら,日本はどうなっているかわかりません。教育の大改革も必要でしょう。それは他の人々に任すとして,ここでは工学部に行き,技術者になりたいと思わせる技術者の地位の向上の対策が必要であることを訴えたいと思います。


私は、2007年12月7日、東芝を提訴しました。日本語ワードプロセッサの生みの親として,技術者の名誉をかけて,技術発明の名誉はその発明者にあることを世に訴えたかったからです。その提訴の経緯について,ここで詳しく書いていきたいと思います。

私の行った発明は,「できる道理がない」と言われた仮名漢字変換を実用化するために必須の技術でした。それが発明された歴史についてはここで詳しく述べてあります

東芝では,2000年前後だったか,「自立自援制度」ということを始めました。内容は「早期退職制度」なのです。しかし,当時,あちこちの企業が早期退職希望者を募るたびに,マスコミで騒がれていました。「xx社も早期退職を開始」などの記事が紙面をにぎわしていたことを覚えておられる人は多いでしょう。東芝はこのマイナスのイメージを嫌って,「自立自援制度」とネーミングを変えたのです。これで,記者の目を逃れることができました。自立とは,字のごとく,会社を辞めて自分でベンチャー企業でもおこして自立しなさいということです。自援なんてことばはありませんね。自分で自分を援助しなさいということです。自立と内容的には同じです。これに応募すれば退職金の割り増しをもらえます。

社内にいても先がないと見越した技術者は,この制度を利用して次々と退職していきました。私の友人,知人も相当数が退職していったのです。彼らは50歳前後でした。ところが,研究所の社員は大学の教員で出る人がほとんどで,この場合,大学に行くのは「自立自援」ではないという屁理屈をつけられて,彼らは退職金の割り増しを行ってもらえませんでした。私のかつての部下も数年前から早く大学に出て行くようにと言われていました。ちょうどこの制度の時期と,行っても良い大学が見つかった時期が重なったので,自立自援制度で退職しようとしたところ,上の理由を言われて退職金割り増しなしで出て行ったのです。

彼は自分から進んで大学に出ようとしたわけではありません。できれば定年まで会社に居たかったのだと思います。なかなかポストのない首都圏を離れて地方に行くことになり,単身赴任などで現在の生活形態を大幅に変えることになるからです。辞めよと勧告されて辞めたにもかかわらず,自立自援ではないと言われたのです。なるほど,自立自援制度とはそのような使い方があるのかと東芝の本社スタッフの知恵の深さに私は感心しました。マスコミの目をくらますだけでなく,退職金割り増しを削減することもできる制度だったのです。「早期退職制度」ならこんな屁理屈は付けられないでしょう。


研究所の中には親が自衛業の人がいて,彼の場合,親の後を継ぐという名目で割り増し金をもらい,実は大学に就職しました。この人は,キャリアロンダリングだなどと陰口を叩かれていました。しかし,この話を事業部の知人にした所,事業部ではそんなことはないといわれました。うちの部で大学に出た人もいたが,ちゃんと割増金をもらっていたというのです。つまりは,割増金を出すか出さないかは部署の担当役員の腹づもりで決まるようなのです。割増金を少なくした役員は成績が良くなり,昇進できるということなのでしょうか?現実をみると確かに,そうなっています。

技術立国を支える技術者がこのような使い捨ての状態にあっては,誰も技術者になりたいとは思わないのは理の当然です。文系でも使い捨ては同じかもしれません。同じであるなら,まだしも文系の大学で楽をしようと考える若者を責めることが誰にできましょう。1980年代後半のバブルの時代,工学部から銀行に就職する学生がかなりの数いました。人間はなぜ努力するのか?大半は,良い生活をしたいと思うからで,良い生活を保障するものは高い収入です。これは大方の真実でしょう。工学部を出ながら,製造業より収入が圧倒的に良い銀行へという風潮を誰が非難できるでしょう。日本がローマ帝国のごとく滅びることがないように,技術立国を支える技術者の努力に報いる処遇をする必要が,企業にはあると私は考えています。

私は上のような環境の中,2004年に56歳で定年扱いで退職しました。私が,「発明者の名誉をかけた訴訟である。技術立国を支える技術者の待遇改善を訴えたい」と言っているのは,この退職と関係があるのです。私は,1970年代当時不可能と言われた仮名漢字変換を実用に導き,日本語ワープロを製品化しました。ところが・・・その栄誉は人事的には私には付けられていないことが退職時に明確に判明したのでした。そのため,非常に劣悪な条件で退職を余儀なくされました。このような事件がなければ,精神的にも,肉体的にも,経済的にも大変な負担を伴う訴訟など行うこともなく平和な人生を送ったことでしょう。これが,「発明者の名誉をかける」の意味なのです。

そして,この訴訟を通して,すべて,技術者の発明の名誉は発明者に帰属するものであることを訴えているのです。私の事件は飛行機を発明したライト兄弟が名誉を奪われた事件と非常に良く似た経緯をたどっています。「不可能といわれていたこと」,「それを不断の努力によって成し遂げたこと」,「その名誉を権力によって奪われたこと」などです。このような不名誉な事件を日本が再び起こすことのないようにと願って。
(続く)



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